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金曜日は、ミラノ風カツレツを食べる日? 曜日で食べるものが決まっているイタリア [グルメ]

2月2日、金曜日の夕食は、ミラノ風カツレツでした。
イタリア語でいうとCotoletto alla milanese

なんでそうなったかというと、
2月2日は、ミラノではミラノ風カツレツを食べる日だから。
(なんて嘘ですよ! 逆に金曜日は肉を食べない。今は
その習慣は薄れていますが…。キリストの受難の金曜日)

本当は、日本政府が日本料理、和食の認定制度を作ろうと
しているニュースと関係あります。

和食→海外の影響を受けた和食は?→スパゲティ・ナポリタンや
カツレツ→カツレツはウィーン風カツレツから→ウィーン風カツレツは、
実は…。そして曜日でメニューが決まっている話を書く予定です。
どうなりますことやら。

2月2日の東京新聞朝刊の《特報》に関連記事が。
農水省の海外“日本食ミシュラン”そ上に
《世界で人気の日本食に、現地風変わり種が多いのは事実だが
“日本食ファン”は“日本シンパ予備軍”でもある。水を差すことが
国益になるのか。ちょっとばかり、無粋でよけいなお世話なんじゃ?》
と疑問をなげかけ、アメリカ、フランスの日本食に隆盛ぶり、
フランスで発行された《「正統派の日本料理」を出すレストラン五十店を
厳選したガイドブック(フランス語)》にふれ、認証基準がはっきりしないと、
日本の農水省の方針に、疑問をなげかけています。

さらに二人の意見を紹介。
一人が、《「意味ないし効果もない」》という《銀座の和食店「仲むら」の主人、
中村寛一さん》。(もっとも氏の意見より《五時間かけてイワシを煮込み、
三時間かけておからを作る》という氏の紹介に興味を持ちましたた。
脱線ついで、そこに紹介されている料理人の海外での厚遇ぶりにも驚愕。

《海外では板前の給料は高い。インドネシアに豪邸を建てた知人もおり、
中村さん自身、日本の三倍の給料で何度も誘われた》という点。
寿司職人なんか、引く手あまたというし、海外で生活したいと思うなら
料理人ですよ、料理人。団塊の世代の方や若い方で海外に
と思われる方は、料理ならビザもすぐ出ますよ。

そうそう中村さんは、《「和食を作るなら日本、それも銀座」と》いうことで、
海外には行かなかったようです)

もう一人が、《食と旅に詳しいフリーライターの佐藤晶子さん》。
彼女は、《「庶民の暮らしから生まれる食文化に国が口出しするというのが
ナンセンス。認定など無意味。つくづく成熟していない国だと思う。文化は人との交わりから生まれるものだから、混じり合っていくこともある。それを規制したり、正統性の概念を持ち込むのはおかしい」とあきれる。》

以前、《海外の変な和食、カレー天丼、ワインみそ、
豚カツラーメン…》
などで書きましたが、
お上が「規制」することには、反対。
(たとえば、それ以外、営業してはいけないとか)
が、目安になるという意味で、認定制度はあってもいいかなと思います。

で、記事は、日本のイタリア料理について触れます。
《日本のイタリア料理も、ケチャップで味付けしたナポリタンから始まり、
広まるうちに本物志向が芽生えた。ナポリに「スパゲティ・ナポリタン」が
ないのは有名な話。》

ナポリタンは、戦後、横浜のグランドホテルから始まったとされています。
だが。ナポリタン以前に、日本にもイタリア料理はあったのですが…。

話があちこちにとび、わかりにくくなりました。
新聞記事の続きを。

最後は、佐藤さんの意見をもう一度引いています。
まとめれば、おやと思う日本料理も食文化の違いを感じるきっかけで、
日本を知る入り口になると。《本当の日本食を守りたいと真剣に思うなら、
まず日本の食育でしょ?」 》と日本の農水省がやるべきことは、
認定制度よりも先に食育だよと。

先日のエントリー、
日本の食、フランスで旋風。海外に向けて情報発信すれば…。》で、
《関連する特集を、1月27日午後11時から
テレビ東京系列「ワールドビジネスサテライト」で放映します。》と書きました。

ビデオに留守録したものを見ました。
その中で、日本の洋食の代表スパゲティ・ナポリタン、カツレツそして
トンカツが出てきました。

とんかつの誕生―明治洋食事始め
トンカツに関しては、色々な説があるのですが、

1899年銀座「煉瓦亭」二代目、木田元次郎さんが
     ポークカツレツを考案。薄切り豚肉を使用。デミグラスソース。
         温野菜、パン。ナイフとフォークで食べるスタイル。
1929年頃、当時の宮内省大膳職で勤務したこともある島田信二郎さんが、
         上野「ぽんち軒(ポンチ軒)」に勤務時代、豚厚切り肉をたっぷりの
     油で揚げる方式を考えた。箸で食べるスタイル。
         ウィーナー・シュニッツェル(ウィーン風子牛のカツレツ)を元に
     考えたとされる。後に島田さんは「ぽん多本家」(現存)を創業する。
          (ここでは、トンカツではなくカツレツと呼ぶらしい)

ウィーン風カツレツは、実は、1848年の3月革命の時、当時、
オーストリア帝国の支配下にあったミラノの暴動(独立運動)を
鎮圧するため駆けつけたラデツキー将軍が、オーストリアに
そのレシピを持ち帰ったと伝えられています。(イタリア側の主張)
(ミラノ風カツレツはフランスにも渡っている)

このラデツキー将軍の働きを讃えて、ヨハン・シュトラウスは、
《ラデツキー行進曲》を作曲しています。毎年、ウィーン・フィルの
ニューイヤーコンサートの最後に演奏される曲として有名です。

ミラノ風カツレツはどこから来たのかについてですが、スペインという説も。
というのは、オーストリア帝国(ハプスブルグ家)に統治される前は、
スペインに統治されていたから。この辺りは、詳しく調べていません。

やっとこさ。ミラノ風カツレツにたどりつきました。
けれど、金曜日は、上に書いたようにイタリアでは、これまで肉をあまり、
好んで食べませんでした。曜日によって食べるもの、食べないものが
あったのですね。

火曜と金曜日:魚の日。(月曜日は、魚屋休み。日曜日には漁に出ないから)
木曜日:ニョッキの日。ローマなどイタリア中部。金曜日は、断食の習慣が
     あった。それに備えて、腹持ちのよいニョッキを食べたと言われる。
金曜日:肉を避け、魚を。昔は生の魚でなく干物。中でもバカラと呼ばれる、
     干しダラをよく使った。昔は安かったものの、現在は高くなったので、
     この習慣は薄れている。
     内陸のトスカーナは、豆食いと呼ばれるほど豆が大好き。
         豆と野菜を煮込んだRibollita(煮直したという意味)というスープを
         作る。さらに土曜日にも食べる。

てな感じになっています。イタリアの南の方では、また違った習慣があるとも。

またまとまりのない文となりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

追記
なぜ、2月2日の夕食のことを2月11日にと思われる方も
いらっしゃるでしょう。ひと言で言えば、忘れてました。
10日にロシアの寿司の記事を書いていて、
これをアップしていないことに気づきました。
時期が遅れていますが、あげときます。

気軽にミラノ風カツレツを食べたいなら
仔牛のカツレツ ミラノ風ポテトとローズマリーのロースト添え
木曜日のニョッキを試したいなら、ちょっと贅沢だけど、
【タラバガニとズッキーニの送料0円】ジャガイモのニョッキ
 (お得な4食入)~クリームソース~


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