「犬も歩けば棒に当たる」の意味は? 災難説、幸運説、どっち。
あなたは、
「犬も歩けば棒に当たる」
ということわざ、ご存じですよね?
最近は、あまりすることも少なくなりましたが、
「いろはかるた」の一番、最初、「い」がまさにこれ。
ちなみに、江戸の場合は、
この「犬も歩けば…」ですが、
京都は、「一寸先は闇」、
大阪は、「一を聞いて十を知る」
というのが標準的なんだそう。
で、江戸の「犬も歩けば棒に当たる」ですけれど、
この意味するところ、教訓はどんなものなのか?
先日、自分と同年配の男性と話していて、
この「犬も歩けば~」の話になったのです。
その男性が、同じ会社の若い人にこのことわざの
意味、教訓について尋ねたところ、その青年は、
「犬は、わざわざ出歩いて、棒に当たるという災難にあった。
だから出しゃばったり、好奇心にまかせてふらふらすると危ない
という教訓ですね」というような内容を話したのだそう。
「えー、そんな意味だっけ」と、年上の男性は驚き、
「いや、そうじゃなくて、進んで出かけたり、
何か行動を起こせば、思いがけない幸運、福に出会える
という意味だと思うよ」と説教っぽく、告げたそう。
そしたら、若者は、「棒にあたるって、良いことじゃなく、
悪いことじゃないですか。それなのに幸運とか、
福とかというのはおかしいですよ」
と反論したのだと言います。
あなたは、どう思われますか?
自分は、やはり
「出歩けば、何かよいことに出くわす」って方だなー。
広辞苑第六版だと、
《物事を行う者は、時に禍いにあう。
また、やってみると思わぬ幸いにあうことのたとえ。》
幸いと災いのどちらとも書いてありますね。
ことわざだから、どちらもあるってことなのかなー。
《江戸いろはかるた》(アマゾン)
思えばことわざの中には、反対の意味のものがいろいろありますね。
「三人寄れば文殊の知恵」対「船頭多くして船山に登る」
「蛙の子は蛙」「瓜のつるには茄子はならぬ」対「氏より育ち」「とんびが鷹を産む」
「善は急げ」対「せいては事を仕損じる」 、
「三人寄れば文殊の知恵」対「船頭多くして船山に上る」
「渡る世間に鬼はなし」対「人を見たら泥棒と思え」
「どっちなんだよ!」って思いますが、
どっちも正解というのが、人生なのかなー。
関連エントリー
《「江戸の敵を長崎で討つ」なのか「長崎が討つ」なのか? この諺の起こりは?》
《「弘法にも筆の誤り」。弘法大師は何を書き誤ったのか?》
〇追記 2023年2月3日
このエントリーにアクセスを頂いています。
理由は不明です。
〇追記 2023年3月5日
このエントリーにアクセスが集まっています。
前回から1年ほどだなー。アクセス集中の理由は不明です。
《ジャパンナレッジ》
《第345回犬が歩くと当たる“棒”は幸運か、災難か? 2016年12月26日》
https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=362
災難説、幸運説。どちらもあると。
ただ災難説がもともとのようですね。
幸運説でも日本国語大辞典では
《才能のない者でも、数やるうちには
うまいことに行きあたることがある。》と。
なので、使う時には注意が必要と記されています。
《「犬も歩けば棒に当たる」はスペインでは何て言う?
ことわざの世界旅行に誘う「世界ことわざ比較辞典」2020.05.08》
《犬も歩けば棒に当たる
何か行動すると、災難にあったり、反対に、思わぬ幸運にあうことがあるということの譬え
[オランダ]駆け回る犬は、いずれ食い物を見つける
[スペイン・メキシコ]船に乗らない者は船酔いしない
[トルコ]座っているライオンよりも歩き回るキツネの方が良い
※抜粋、本書では原語の表記もあり》
https://book.asahi.com/article/13321536
「犬も歩けば棒に当たる」
ということわざ、ご存じですよね?
最近は、あまりすることも少なくなりましたが、
「いろはかるた」の一番、最初、「い」がまさにこれ。
ちなみに、江戸の場合は、
この「犬も歩けば…」ですが、
京都は、「一寸先は闇」、
大阪は、「一を聞いて十を知る」
というのが標準的なんだそう。
で、江戸の「犬も歩けば棒に当たる」ですけれど、
この意味するところ、教訓はどんなものなのか?
先日、自分と同年配の男性と話していて、
この「犬も歩けば~」の話になったのです。
その男性が、同じ会社の若い人にこのことわざの
意味、教訓について尋ねたところ、その青年は、
「犬は、わざわざ出歩いて、棒に当たるという災難にあった。
だから出しゃばったり、好奇心にまかせてふらふらすると危ない
という教訓ですね」というような内容を話したのだそう。
「えー、そんな意味だっけ」と、年上の男性は驚き、
「いや、そうじゃなくて、進んで出かけたり、
何か行動を起こせば、思いがけない幸運、福に出会える
という意味だと思うよ」と説教っぽく、告げたそう。
そしたら、若者は、「棒にあたるって、良いことじゃなく、
悪いことじゃないですか。それなのに幸運とか、
福とかというのはおかしいですよ」
と反論したのだと言います。
あなたは、どう思われますか?
自分は、やはり
「出歩けば、何かよいことに出くわす」って方だなー。
広辞苑第六版だと、
《物事を行う者は、時に禍いにあう。
また、やってみると思わぬ幸いにあうことのたとえ。》
幸いと災いのどちらとも書いてありますね。
ことわざだから、どちらもあるってことなのかなー。
《江戸いろはかるた》(アマゾン)
思えばことわざの中には、反対の意味のものがいろいろありますね。
「三人寄れば文殊の知恵」対「船頭多くして船山に登る」
「蛙の子は蛙」「瓜のつるには茄子はならぬ」対「氏より育ち」「とんびが鷹を産む」
「善は急げ」対「せいては事を仕損じる」 、
「三人寄れば文殊の知恵」対「船頭多くして船山に上る」
「渡る世間に鬼はなし」対「人を見たら泥棒と思え」
「どっちなんだよ!」って思いますが、
どっちも正解というのが、人生なのかなー。
関連エントリー
《「江戸の敵を長崎で討つ」なのか「長崎が討つ」なのか? この諺の起こりは?》
《「弘法にも筆の誤り」。弘法大師は何を書き誤ったのか?》
〇追記 2023年2月3日
このエントリーにアクセスを頂いています。
理由は不明です。
〇追記 2023年3月5日
このエントリーにアクセスが集まっています。
前回から1年ほどだなー。アクセス集中の理由は不明です。
《ジャパンナレッジ》
《第345回犬が歩くと当たる“棒”は幸運か、災難か? 2016年12月26日》
https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=362
災難説、幸運説。どちらもあると。
ただ災難説がもともとのようですね。
幸運説でも日本国語大辞典では
《才能のない者でも、数やるうちには
うまいことに行きあたることがある。》と。
なので、使う時には注意が必要と記されています。
《「犬も歩けば棒に当たる」はスペインでは何て言う?
ことわざの世界旅行に誘う「世界ことわざ比較辞典」2020.05.08》
《犬も歩けば棒に当たる
何か行動すると、災難にあったり、反対に、思わぬ幸運にあうことがあるということの譬え
[オランダ]駆け回る犬は、いずれ食い物を見つける
[スペイン・メキシコ]船に乗らない者は船酔いしない
[トルコ]座っているライオンよりも歩き回るキツネの方が良い
※抜粋、本書では原語の表記もあり》
https://book.asahi.com/article/13321536
≪… 江戸 … 犬も歩けば棒に当たる
京都 … 一寸先は闇
大阪 … 一を聞いて十を知る …≫ で、数の言葉ヒフミヨ(1234)を眺めると・・・
江戸 流は、『自然比矩形』
京都 流は、 コスモス ⇔ カオス
大阪 流は、『幻のマスキングテープ』
とか・・・
≪…「三人寄れば文殊の知恵」対「船頭多くして船山に登る」…≫を、実数直線の + - の方向を模様で示せるとか・・・
≪…《才能のない者でも、数やるうちにはうまいことに行きあたることがある。》…≫を、「すうがくでせかいをみるの」的に観ると、数の言葉ヒフミヨ(1234)が[直交座標]を背負いこんでいるらしい・・
by 三文字(i e π)寄れば文殊のヒフミヨ (2023-07-26 21:15)