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本能寺の変の原因は四国攻め? 四国を統一した戦国武将・長宗我部元親の書状が発見。 [気になるニュース]

明智光秀の子孫の方が書いた本。
出版された後、すぐに読みました。
(その時は 「本能寺の変 四二七年目の真実」)
先日、書店に行ったら、文庫となり、
「本能寺の変  431年目」に)
の真実 に平積み、展示されていました。
2014年6月で20万部を超えるベストセラーとなっているそう。

邪馬台国の場所、
「本能寺の変」の明智光秀謀反の原因、
そして坂本龍馬暗殺の犯人。

この3つが、日本人が関心がある
日本史上の謎なんだとか。

本能寺の変の光秀謀反の謎を
解くかもしれない手紙が発見されたそうです。
岡山市にある林原美術館が
持っている古書の中から見つかったもの。

四国の戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が、
光秀の重臣・斎藤利三(としみつ)に宛てた書状です。

日付は1582年5月21日付。
(そのすぐ後、 6月2日が本能寺の変)

内容は、長宗我部元親が信長が出した、
領土を限定するとの指示に従うというものです。

どういうことでしょうか?

長宗我部元親は、四国の土佐が領地の戦国大名。
長宗我部氏は、土佐、阿波、さらに領地を広げようと
していました。

信長は、1575年頃には、元親に領地を
四国全体に広げる許しを出したのですが、
その後、それを認めないと、政策を一転したのです。
それをのめない場合、攻めると。

今回の書状は、元親が信長の指示を受け入れるとの内容。

ところが、信長は四国を攻めるため、
大阪に軍勢を集結させていたのです。

光秀は、この件に関し、
信長と元親の仲介役を務めていました。

光秀は元親と交渉し、領地を限定することをのませ、
四国攻めを回避しようとしたのに、信長が攻めることを決定。
交渉を台無しにされ、面目をつぶされた……。
これが本能寺の変の原因であるとの説があります。

今回、発見された書状は、この説を補強する根拠となります。

〇政策転換したのは?
 信長を悩ませていた大坂本願寺との和睦が成立したことが大きな理由。

〇元親が、信長の四国統治政策の転換に従う意思だったことが、
 初めてわかった。

〇この手紙の直後、大坂住吉には、
 信長の三男、織田信孝を総大将とする四国攻めの兵が待機していた。
 本能寺の変がなければ、その6月2日に出陣する予定だった。
 本能寺の変がなかったら、この兵は四国に向かい、
 元親を攻めていたはず。
 (明智光秀が行っていた交渉がすべて水泡に)

〇恭順の意を示した元親を攻めようとする信長を
 止めようとして、本能寺の変につながった可能性が考えられる。

〇元親は、阿波の一宮、えびす山城、畑山城などからは撤退。
 しかし、海部城、大西城は、土佐の守りのため、
 そのまま所持したい旨を記載。
 このことを含め、信長が甲州征伐から戻ったら、その指示に従いたいと
 書状には記述。

〇明智と長宗我部は、深い関係にあった
 明智家臣の斎藤利三は、石谷頼辰の実弟で、
 頼辰の妹は元親に嫁いでいる。

〇坂本龍馬の坂本家と明智家。
 墓には明智一族に似た桔梗紋が。
 坂本一族は、山城国から、戦乱を逃れて、
 土佐に渡ったとの伝承が。
 「坂本」は、光秀の居城のあった近江坂本に由来との説。

高知県立坂本龍馬記念館
《坂本家と明智家》
http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/qa/ryoma/post-34.php

《南国市にある坂本家初代の太郎五郎の墓には、
「弘治永禄の頃(1555年~1570年)畿内の乱を避け
土佐の国殖田郷才谷村に来り住む」とあります》。

《明智光秀の甥で同家の重臣に斎藤内蔵介利三(くらのすけとしみつ)という人物がおり、
長宗我部元親の妻はこの人物の異父姉になります。山崎の合戦で、明智光秀や
斎藤利三が戦死した後、利三の次男と娘の福は母とともに元親夫妻を頼って
土佐に落ち延びてきます》。

落ち延びてきても不思議ではないが、
平野部ではなく、才谷村のような山間部にいた所から、
《明智後裔説は疑問視されている》とのこと。

上にも記した
〇明智光秀の子孫・明智憲三郎さんが出版した本。
《明智光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫》

【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)》(Amazon)

明智さんの説は、四国攻めではなくもっと大きな事。
どんな説かは本でお確かめください。

長宗我部氏の子孫による
一族の歴史について記した一冊。
啓文堂書店2014年雑学文庫大賞受賞
http://www.bungeisha.co.jp/news/topics/honnoji/

長宗我部 (文春文庫)》(Amazon)

四国を制覇した元親の強さの秘密は?

長宗我部元親と四国 (人をあるく)》(Amazon)


プレスリリース
《2014年06月23日
林原美術館所蔵の古文書研究における新知見について
―本能寺の変・四国説と関連する書簡を含むー》
http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=392
林原美術館
http://www.hayashibara-museumofart.jp/

《【資料集の出版】
来年の前半をめどに、石谷家文書全47点の写真と読み起こし文と
解説を付した資料集を、吉川弘文館より刊行する予定です。
【今後の展示スケジュール】
(1)林原美術館(岡山県岡山市北区丸の内2-7-15 ℡086-223-1733)
・開館50周年記念特別展「武士のダンディズム」(平成26年7月19日~9月15日)で6点。
・開館50周年記念特別展「林原美術館の名宝 第一部 
 絵画・書跡・能装束」(仮)(平成26年9月30日~11月16日)で6点。
(2)高知県立歴史民俗資料館(高知県南国市岡豊町八幡1099-1 ℡088-862-2211)
・特別展「長宗我部氏と宇喜多氏」(平成26年10月11日~12月7日)で4点。
(3)岡山県立博物館(岡山県岡山市北区後楽園1-5 ℡086-272-1149)
・特別展「戦国大名 宇喜多氏と長宗我部氏」(平成27年1月16日~2月15日)で8点。》



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