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台風19号で浸水した多摩川の二子玉川駅周辺。堤防なしの場所。 [気になるニュース]

台風19号の大雨のため、
東日本を中心に、大きな被害が出ています。

被災された皆様には、
心よりお見舞い申し上げます。

今から10年ほど前に
毎月のように通っていた
長野県の村。

大雨特別警報が出され、観測史上最大の
降水量を記録したものの、大きな被害は
出なかったようです。

友人が住んでいる世田谷区。
最寄り駅は二子玉川駅。

多摩川とは反対側で、
小高い場所なので、無事でした。

しかし、駅周辺と多摩川の辺りは、
浸水し、大きな被害が出ています。

昔、あの辺りを何度も訪れたことがあります。
つい先月も友達の家に行った際に通ったばかり。

二子の渡し跡があるあたりも
ウォーキングを楽しみました。

緑があり、開放的で歩くと
気分がいいのですね。

もうずいぶん前になりますが、
二子玉川駅の隣の駅、用賀駅、
さらに三軒茶屋駅周辺に、
20年以上、仕事場があり、
地元の人と知り合いになり、
友達も出来ました。

それで聞いたところ、今、大きな
ショッピングセンターが出来ている
二子玉川駅周辺ですが、あの辺りは
古くは大山街道の宿場町。
また明治、大正、昭和と行楽地で、
玉電に乗って遊びに出かける場所でした。

すぐ川に面した場所は、料亭などが建ち並び、
川の景色を楽しみながら食事をしたり、
川遊びをしていました。(屋形船も)

度々の水害があり、河川改修、
さらには堤防建設の話が持ち上がっていたそう。

しかし、景観が悪くなるからと堤防建設に対する
住民の同意が得られず、川側には高い堤防は
建設されませんでした。

今回、氾濫し、浸水した場所の背後、
川から離れた場所に堤防は造られたのだとか。
(大正時代。手前の部分は、後に暫定的に堤防が造られた)
戦後も行楽地として栄えたのですが、
次第にさびれ、行楽地から宅地に
なっていったのだそう。

二子玉川園があった場所は、二子玉川ライズが。
《二子玉川ライズとは》(歴史が写真とともに)
http://www.rise.sc/whatsrise/history/
三軒茶屋・二子玉川
https://smtrc.jp/town-archives/city/sangenjaya/index.html
行楽地となった二子玉川
https://smtrc.jp/town-archives/city/sangenjaya/p07.html

多摩川左岸、二子橋のすぐ上流部分は、
全く堤防がなく、無防備。(野川の河口)

今回は、ここから氾濫。
道路(多摩堤通り)も越えて、水が浸入し、
上記の下流部分に浸水した。

報道によれば、国土交通省は100年に
一度の洪水に備えスーパー堤防の建設を提案。
しかし一部住民は川辺の景観を守るとして反対。
住民の同意が得られず、建設できず。
(今から10年ほど前)

テレビドラマ「岸辺のアルバム」でも描かれた
1974年の多摩川洪水。
その時、決壊した堤防は、今回のさらに上流。
小田急線鉄橋の下流。

多摩川決壊の碑がたっている。

多摩川決壊の碑
http://tamagawa.circlemy.com/history-02.html

高規格堤防整備地区
http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/keihin_index061.html
二子玉川地区
http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/keihin00356.html
《世田谷区/左岸17.0km付近/延長合計約390m
二子玉川公園道路等整備事業(世田谷区)》

今回、浸水した箇所のすぐ下流。

○二子玉川南地区の堤防建設を巡り、
 《堤防が造られることにより大変貴重な自然環境が
 破壊されたり、住民の目線が遮られることで
 無法地帯化され、ゴミの投棄など様々な問題が発生する》
 として反対。
 《二子玉川の環境と安全を考える会》
(後に「二子玉川の環境と安全をとり戻す会」)のHPなどで
 堤防建設反対を訴えていた。(HPは現在、閉鎖中)

《二子玉川堤防整備におけるこれまでの住民説明等主な経緯》(PDF)
http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000071359.pdf

平成19年9月7日、台風9号により、
        玉川1丁目、3丁目に出水。
平成20年ころから、度々、この会と意見交換。

《玉川 やなぎや》
http://tamagawa-yanagiya.jp/about.html#shoukai
ブラタモリ、 「二子玉川」
放送日時 2009年10月15日(木)
午後10:00~午後10:42
https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/pg/page010-01-01.cgi?hensCode=000019200300401000005

《市街地の変容と築堤の関係にみる無堤防地区の形成史》
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00061/2012/39-04-0001.pdf

《1918年に二子橋―河口間の多摩川回収工事が始まった。
この時、同地区は川と切り離せない関係にある料亭側の
反対を受け、洪水時に立ち退くことを条件に現在の
多摩堤通り沿いに築堤され、料亭は堤外地に残ることが許された。
しかし、料亭業が衰退すると、二子玉川~渋谷へのアクセスや
都市化の影響もあったのか料亭であった土地が売却され
民家に変わったと思われる。》

《1973年に多摩川と同地区の間の築堤を計画するが、
住民側の反対を受け、施行出来ずに終わった。》

世田谷区HP、《多摩川沿いの料亭》
https://www.city.setagaya.lg.jp/theme/kanko/002/001/d00016446.html





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