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「コウノトリのクチバシの跡」とは? アザと物語。南総里見八犬伝、桜姫東文章、般若姫伝説。

皆さんは、小さい時に、母親や大人に、
「赤ちゃんはどこから来るの?」
と尋ねたことはありませんか?

答えはいろいろでしょうが、
「コウノトリが運んできたんだよ」
と教えられた方も多いのではないでしょうか?

もともとは、ドイツやヨーロッパの北の地方の言伝えのようです。

赤ちゃんは、かごに乗せられ、
そのかごをくわえるコウノトリという
絵を見るのですが、赤ちゃんをそのまま
くわえている絵もみかけます。

それでかどうか、赤ちゃんの首のうしろのあざを、
「コウノトリのクチバシの跡」(stork bites)というのだとか。

医学的には、「ウンナ母斑」と言われる物だそう。

従兄弟のお姉さんは、生まれた時に「あざ」があり、
昔は、「妊娠中に火事を見たから」と言われたそう。

一部は消えましたが、残ったものがあり、
それは、後に病院でレーザーで、消したようです。

「あざ」が印となり、過去からの因縁がわかる
という物語も見られます。

有名なところでは、牡丹の花のあざが仲間の印
というのが、「南総里見八犬伝」。

西洋では、キリスト教の世界に、
聖なるあざ、「聖痕」という考えが見られます。
聖人に現れる、神聖さ、キリストとの関係を示す印です。

その一つが、キリストが十字架に架けられた時に、
打ち付けられた両手と両足、さらに槍で刺されて出来た痕。
それがあざのように現れるのが、聖人の印と。

こんな映画もありました。
映画《スティグマータ 聖痕(1999)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31872/index.html

聖なるという事で言えば、転生を信じるチベット仏教では、
多くの子どもの中から、転生者(霊童)を知る手がかりの一つとして、
「あざ」を判断材料としています。

カルマパ17世は、カルマパ16世の転生者として、
ダライラマから認定されましたが、その根拠の一つが、
カルマパ16世にあった太ももの黒あざだったそう。

《カルマパ17世 チベットから逃走》
http://www.tibethouse.jp/news_release/2000/Karmapa/karmapa22.html

《「ブルータス」、チベットに出会う》、
#01 チベット21世紀、期待の星!人気ナンバーワン・ラマ、カルマパ17世
http://www.tibet.to/2005brutus/text01.htm

転生を描いた映画の一つが、ベルトリッチの
「リトル・ブッダ」
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16689/index.html

リトル・ブッダ [DVD] 》(アマゾン)

転生者の判断方法、
《先代の遺言、遺体の状況、神降ろしによる託宣、聖なる湖の観察、
さらに転生者の候補が先代の遺品を認識できるかどうかなどである。》

《ダライ・ラマ法王と転生探し》《14世ダライ・ラマ法王発見の経緯と輪廻転生制度》
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/hh_reincarnation.html

「あざ」で思い出すのは、顔に大きなあざのある
お姫様(玉津姫)のお話。

もともとは大分の民話だとか。


「般若姫伝説」(玉津姫の娘が般若姫、さらにその娘が玉絵姫)
http://www.hirao-kankou.net/hannyahime.html

山口県平生町、《般若寺》
http://www.hirao-kankou.net/tera.html

真名野長者と般若姫  伝説
http://www.d-b.ne.jp/siga/panora/mie/utiyamasato.html

《やないコミュニティミュージアム》
《般若(はんにゃ)姫(ひめ)のはなし》
http://www.yanai-museum.jp/modules/ethnic1/photo.php?lid=139

都に住み、顔に黒い痣があった玉津姫が、
三輪大明神に願を掛けたところ、
豊後の国の小五郎が夫であると告げられます。

下って探し求めたところ、相手は、山の中で炭焼きをしていました。

黄金の価値も知らなかった小五郎。
食べ物を買うようにと、玉津姫からもらった
黄金を投げつけて、おしどりをとろうとしたほど。

というのも、小五郎は、黄金の石が身近にたくさん
あったため、黄金の価値に気付かなかったのです。

その黄金の石のわく池で身を清めたところ、
あざは消え、小五郎も美男子に。

二人は、その後、長者になり、大きな家を建てます。
その折、玉津姫の身体に、満月が飛び込み、懐妊するのです。

そして生まれたのが、舌に三日月のアザがある美しい女の子。
アザの形から月の精が宿ったとして「半如姫」と名付け、
後に観音様のお告げ(もしくは中国の皇帝の遺言)により
般若姫になります。

般若姫は、後の用明天皇と結ばれ、一人娘である玉絵姫を
生むのですが、娘を長者夫妻の元に残して、船で都に上る途中、
周防で、嵐にあい、供の者を大勢、失ってしまいます。

姫は、今後、海難で人が亡くならないように、
自分が守り神となると決意し、航海の難所である、
大畠の瀬戸(大畠灘)に身を投げ、没してしまったのです。

それ以来、毎年、陰暦の大晦日の真夜中、
大畠の瀬戸の海中から火の玉がのぼり、
3つに分かれ、都、故郷の豊後、そして般若寺に
向かうと言われているそう。

今年の陰暦の大晦日は、2月13日。
般若寺には、般若姫の火の玉がのぼってくるのでしょうか?

(なお般若寺では、毎年2月15日には、厄除け火祭りが行われています)

姫で言えば、歌舞伎の「桜姫東文章」の桜姫。

桜姫は、因縁ある僧の清玄をあやめてしまうのですが、
その後、子までなした釣鐘権助の頬に、清玄と同じあざを
見てしまうのでした。

Yahoo!百科事典《桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)》
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%A1%9C%E5%A7%AB%E6%9D%B1%E6%96%87%E7%AB%A0/

あざとともに、生まれ変わりをしる手立てとなるのが、
生まれた時に手の中に、何かゆかりのものを握っているということ。

桜姫は、清玄が愛した衆道の相手・白菊丸の生まれ変わり。
それを知ったのは、桜姫が生まつき、左手が閉じており、
僧である清玄が祈ったところ、手が開き、清玄と書かれた
白菊丸が持っていた香箱が、出てきたからです。

このように生まれつき手が閉じて、手の中に何か持っているというのは、
聖徳太子の逸話、松山の石手寺の縁起などでも見られます。

聖徳太子は、厩戸王子と言われ、馬小屋で生まれたとされ、
誕生(1月1日)の折には、手に仏舎利を握っていたといいます。

聖徳太子が2歳の時(575年、敏達4年2月15日)、
夜明け前、東方に向かい、「南無仏」と念仏を唱えたところ、
掌の中にあった仏舎利が落ちたと伝えられています。
(手と手を合わせたところ…との伝も)

その仏舎利は、法隆寺に納められているようです。

その「南無仏舎利」を納める「南無仏舎利塔」は、
舎利殿の中にあり、
毎年、元旦から3日まで舎利講の法要が営まれます。
その時にのみ拝観が可能。
2010年も1月1日から3日まで、仏舎利が開扉されました。

《法隆寺で『南無仏舎利特別開扉』》
http://puchitabi.jp/09/12/post-5581.html

なお聖徳太子と仏舎利に関しては、
大阪市生野区にある舎利尊勝寺の縁起も有名です。

大阪市のサイト《舎利尊勝寺》
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009134.html

生野長者に息子が生まれますが、生来、言葉がしゃべれません。
四天王寺を創建するため訪れた聖徳太子がこれを聞き、
自分が前世で仏舎利三顆をその子に与えたことが理由と告げ、
はき出すように命じます。
すると言葉通り、息子が舎利を出し、以後、話せるようになるのです。

出てきた仏舎利は、法隆寺、四天王寺、そして長者に与えられます。
長者は、舎利を屋敷内にたてまつったと言います。
これが舎利尊勝寺の縁起と伝えられています。

四天王寺は、太子創建の寺。
毎日、「舎利出し回向」が行われており、
太子の命日である22日には、聖徳太子忌が行われています。
(太子会で縁日でもある)
また弘法大師との縁もあり、命日の21日は大師会で、
多くの食べ物屋が出店し、アンティーク市も開かれます。

「四天王寺 年間行事」
http://www.shitennoji.or.jp/gyouji2/newpage2.htm

聖徳太子は、用明天皇の皇子。
法隆寺は、用明天皇の病気平癒を祈り、
聖徳太子が建立したとの説があります。
(用明天皇の妻の一人である般若姫の伝説とつながりました)

石手寺は、愛媛県松山市にある、
四国八十八箇所霊場の第五十一番札所。

遍路の元祖と言われる河野衛門三郎再生のゆかりのお寺です。

http://nehan.net/shikoku88.html#石手寺と衛門三郎

《日本初の遍路・衛門三郎

http://www.dokidoki.ne.jp/home2/doinaka/mq/ten-h/t04-4.html

布施を求めてきたみすぼらしい僧の鉢を
八つに割った強欲な衛門三郎。

その後、八人の子どもが亡くなります。
布施を求めた僧が、弘法大師であったと知り、
詫びるため四国の霊場を巡り、弘法大師を探します。

20巡りしてもあえず、それではと逆回りをし、
12番札所の阿波、焼山寺の麓にきたところで、
病に倒れてしまうのです。

臨終寸前に、ようやく衛門三郎の前に、弘法大師が姿を現すのです。
(このため、どうしても願いをかなえてもらいたい時、
子どもをなくした親が遍路を行う場合は、必ず弘法大師に
会うために、順巡りではなく、逆巡りをする。逆打ちとも言われる)

衛門三郎は自分の行いを心から悔い許しを乞い、
あわせて来世には国司に生まれ変わりたい
との願いを告げ亡くなります。
弘法大師は、路傍の小石を拾い、
「衛門三郎再生」と書き、左手に握らせ弔います。

その後、伊予の領主、河野息利に息子が生まれますが、
生まれつき左手は、握ったままで、閉じていました。

その子が3歳の春、花見の宴の折に、
南無遍照金剛と唱えたところ、手が開き、
中から石が出てきたのです。

石には、「衛門三郎再生」と書いててあったとのこと。
(菩提寺の安養寺の僧が加持した所、手が開いて…という伝もあります)

後に男子は河野息万となり、伊予の国の領主として
領民に慕われる名君となったとか。

この後、この石は、河野家の一族である一遍上人の時代に、
菩提寺の安養寺に納められ、さらにこの由来により、
後に寺名も石手寺とされたとか。
(河野息万自身が納めたとの伝もあり)

この石は、現在、「玉の石」と呼ばれ、
寺宝となり、宝物館の中に納められています。
(但し、レプリカで、本物は本堂の中にあるとか)

なお衛門三郎の屋敷跡には、文殊院徳盛寺が建立されています。
http://www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=J0058304

《賢人 河野衛門三郎》
http://www.nora.or.jp/kutani/saisei00/1rekisi00/emon00/kenjin00.htm

徳盛寺の西には、「えひめここどもの城」、
そして道後から移転し、今はホッキョクグマの「ピース」で知られる
「とべ動物園」があります。
http://www.tobezoo.com/
(私事ですが、おじさんの家もすぐ近く。
小さい時は何もなかった所ですが、よく訪れました)

脱線ついでに道後温泉の「玉の石」についても。

石手寺は道後温泉の近くにあります。
道後温泉は、日本最古の温泉と言われています。

開湯に関しては、脚をいためた白鷺が、
わいた湯に脚をひたした所、直ったのを見かけた
地元の人が、見つけたとされています。

この白鷺が舞い降りて脚の跡がついたという
「鷺石」が、道後温泉駅前の「放生園」にあります。

道後温泉ドットコム、《放生園》(他に坊っちゃんからくり時計、足湯あり)
http://www.dougo-ryokou.com/article/66280572.html

松山市のサイト《道後・放生園》
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/1178961_1021.html

また神代の時代、
大国主命と少彦名命が道後の湯を訪れたそう。
重病になった少彦名命を、大国主命が道後の湯に
入れた所、たちまち平癒し、少彦名命は、
「昼寝をしていたようだ」といい、丸い石の上で舞ったと
伝えられています。

道後の湯では、この大国主命と少彦名命の二神を、
湯の神として、湯神社にお祀りしています。
(湯神社がもともとあったのは、鷺谷)

そして少彦名命が舞った「玉の石」は、
道後温泉本館前にあります。

http://www.mcvb.jp/kanko/spot/search_rekisi_dougo02.html

「コウノトリのくちばしの跡」から、白鷺の足跡にたどり着きました。

長い駄文を最後までお読み頂きありがとうございます。

さらに付け足し。

コウノトリが、タンチョウヅル(丹頂鶴)に間違えられたり、
「つるの恩返し」のつるは、コウノトリではないかとの説があること、
また赤ちゃんを運ぶとされるのは、コウノトリの仲間の「シュバシコウ」
ではないかとの説が書かれています。

《目がテン!ライブラリー》、2005年11月20日。
《子育て上手 コウノトリ》
http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/05/11/1120.html

日本で、「野生」のコウノトリがいるのは、兵庫県の豊岡市周辺。

兵庫県立コウノトリの郷公園
http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/

コウノトリを野生にかえす試験放鳥を実施中。
トキと同じく絶滅から救いうため、放鳥を成功させるため、
周囲の環境を整える活動が行われています。

エサとなる魚、虫を増やすため、
農薬をなるべく使わない米作り、農業もその一つ。

幸運をもたらす「こうのとり米」として販売されているようです。

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