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久しぶりに目にしたキンキナトゥス。細川護煕元総理の「私の履歴書」。アンドレア・フランケッティのチンチナート。

山川出版の世界史・日本史の教科書を一般向けに装丁し直し販売したら、
これが多くの人に受けて、ベストセラーになっているそうですね。

2010年1月24日、朝日新聞。
《もういちど読む山川日本史 [編]五味文彦、鳥海靖》
http://book.asahi.com/bestseller/TKY201001270181.html

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高校の時は、日本史、世界史、政治経済、地理など
社会科の教科が好きでした。

中でも世界史は、先生が、脱線をして面白いエピソードを語ってくれたこともあり、
一番スキな科目でした。

受験科目であったので、教科書と山川の用語集を読み込みました。

用語集の後ろには五十音順の索引があり、
用語の後に丸で囲んだ数字が書いてあります。
例えば、⑦とか⑥とか。

これは当時、15種類あった世界史の教科書で、
何冊に掲載されているのかという数字(頻度数)を示しています。

入試を突破するにはまずこの数字の多いものから
覚える必要があるわけです。
逆に①とか②とかは、後回しというか、
私立文系以外は無視するのが、得策という戦略がありました。

そんな①の中で覚えたのが、チュンチャク、チュンニー姉妹。

皆様、ご存知でしょうか?

山川の用語集には、「徴姉妹の反乱」(①)で出ていました。
徴はチュン。徴側(チュンチャク)、徴貳(チュンニー)
(二人の名前自体は、出ていないのでゼロ)

紀元後40年から43年。
後漢の光武帝に反乱して王となったベトナム人姉妹で、
ベトナムの民族的象徴となっている二人です。

先生は、「『チュンチャク、チュンニー姉妹は
ちゃんとおさえておかないとね』と試験会場で
周囲の受験生に聞えるように言え」と教えてくれたのですが、
これは山川の用語集にも出ていないような人名で、
周囲を、驚かせ、びくつかせ、平常心を失わせろ
という作戦だったようです。

《エンタメ!ときどきアルファ英語》の
2009年4月4日のエントリー
《チュンチャク・チュンニー姉妹の思い出
http://ameblo.jp/plusplpakiki/entry-10236632597.html
にも高校時代の先生が、
わが恩師と同様なことをおっしゃったとの記述があります。

本題になかなか行きません、申し訳ありません。
それでは、ここからすぐに。

高校の世界史の先生が脱線したのが、ローマ史。

その中で、山川の用語集にも出ていない、
つまり15種類の教科書のどれにも掲載されていない
人物の名前を出しました。

キンキナトゥス。

皆さんはご存知でしょうか?

その名前を、最近、久しぶりに見ました。

日本経済新聞の朝刊に
2010年1月ずっと掲載されていた
細川護煕元総理の「私の履歴書」の中で。

25回目の「リーダーの進退」の回です。

細川元総理は、《私が最も忌み嫌うのは
権力のポストに恋々とすること》なのだそう。

この25回目の原稿は、進退の「退く」方に力をいれて書かれており、
自分の仕事を成し遂げた後、ポスト、権力にしがみつかず、
元の地位に戻った人物として、「キンキナトゥス」をあげているのです。

キンキナトゥスはフルネームでは、ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス
(ラテン語綴りLucius Quinctius Cincinnatus、
イタリア語綴りLucio Quinzio Cincinnato)

小学館の百科事典「日本大百科全書」にも掲載されていませんね。

キンキナトゥスは、紀元前6世紀、ローマの共和制前期の人。

当時ローマは、周囲のアエクイ人と緊張関係にあり、
危機にさらされていました。

そこで元老院は、農民であったキンキナトゥスを独裁官に任命します。
(紀元前458年)
彼は軍を率い、わずか16日で敵を撃破。

その後、すぐ独裁官の地位を返上し、元の農民に戻ったのです。

さらに紀元前439年、平民の反乱の際にも独裁官に任命。
反乱を抑えた後、再び、農民に戻ったとされています。

キンキナトゥスという名は、彼の髪が巻き毛だったところから、
付けられたそうです。(cincinnoは巻き毛)

アメリカのオハイオ州にシンシナティという都市がありますが、
シンシナティCincinnatiという綴りから、みなさまご賢察の通り、
キンキナトゥスCincinnatusから名付けられたものです。
(英語読み。他に、彼を理想として設立されたのがシンシナティ協会)

で、先生は続けて、「一般には、キンキナトゥスと書かれるのだけれど、
そしてまた英語ではシンシナトゥス(という発音)だけれど、
イタリアではチンチンナトゥスだ」と言い張る訳です。

もう一発で覚えてしまいましたね。
下ネタに敏感な高校生でしたから。

当時、イタリア語は知らなかったのですが、
後に習って、それはあながちウソではなかったことがわかりました。

皆様、よくご存知の乾杯の時の、
イタリアのかけ声は、「チンチン」。

これは、cincin。
(もともとは、中国語の「請請」から来ているよう)

ciはイタリア語では「チ」と読むんですね。

ですから、Cincinnatusをイタリア風に読むと、
「チンチ(ン)ナトゥス」に近い発音に成るわけです。

最もイタリアでは、ラテン語読みより、
イタリア語綴りのCincinnatoで、
「チンチナート」に近い発音ですね。

なお小文字でcincinnatoと書くと、(キンキナトゥスのように
高い地位を投げ捨て)「隠退生活を送っている人」を指します。

Lazio州には、Cincinnatoという町があります。

またCincinnatoというワイナリーもあり、ワインが製造されています。
http://www.cantinacincinnato.it/home/index.html
http://www.cantinacincinnato.it/vini/selezioni_0.html

この他に、トスカーナ州のテヌータ・ディ・トリノーロで
高い評価を受けた醸造家アンドレア・フランケッティが
作ったチンチナート(Cincinnato)もあります。
(最近は作っていない?)

(今、彼は、シチリアの畑のぶどうを使ったワインを作っています。
http://www.passopisciaro.com/home/

高校時代、世界史の先生から他に教わった脱線話の中から、
ローマに関するものをさらに付け加えておきましょう。 

「お姫様抱っこ」は、ローマが発祥。
江戸と同じく、女性が少なく男性の数が多かったローマ。

ローマ建国直後、一時休戦をして、戦争相手のサビニ族を招きます。
その折に、ローマの男たちは女性を略奪し、各自の家に
連れ帰り配偶者としたのです。

そこから自分の家(または敷地)に女性を迎え入れる場合は、
男性が女性を抱っこして入るという慣習が生まれ、
後にヨーロッパに広がったのだとか。

なおこのサビニ族の女性を仲立ちとして、ローマとサビニは和解。
サビニ人は、独自性を保ちながら、ローマ市民として扱われ、
後にローマが勢力を拡大する上で、異民族を取り込むモデルとなったようです。

肝心の大事なことは記憶していなかったりするのですが、
何故か覚えているのは、先生の脱線話。

それを改めて思い出した「キンキナトゥス」でした。

ローマ建国のロムルス、レムスから始まり、
キンキナトゥスまで英雄を取り上げた一冊。

物語ローマ誕生神話 (1980年) (現代教養文庫)》(アマゾン)

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ローマ皇帝クラウディウスも好きだったキノコ。スパゲティ・アッラ・クラウディウス。

シーザーの時代からですが、
製作費200億円をかけた映像は、オススメです。
(それにしてもよく血が流れ、濡れ場が出てくるなー。
お子様の教育には向きません)

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